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浦和地方裁判所 昭和57年(ワ)870号 判決

原告

伊藤一郎

原告

伊藤二郎

右法定代理人親権者父

伊藤一郎

被告

大宮市

右代表者市長

馬橋隆二

右指定代理人

上野総

外二名

主文

原告らの主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

第一 当事者の求めた裁判

一 原告らの請求の趣旨

1 被告は、原告らに対し、金四〇万円を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

二 請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二 当事者の主張

一 原告らの請求原因

1 当事者

原告伊藤二郎(以下「原告二郎」という。)は、昭和五七年七月当時、被告の設置する埼玉県大宮市立北中学校(以下「北中」という。)の二年に在学していた生徒であり、原告伊藤一郎(以下「原告一郎」という。)は、同原告の父親である。上野恵美子教諭(以下「上野教諭」という。)は、当時原告二郎の属する北中二年一組の学級担任の教師であり、小古瀬健治教諭(以下「小古瀬教諭」という。)は、同じく当時北中教諭であつて二年生を担任していたものである。

2 違法行為

(一) 上野教諭は、昭和五七年七月五、六日ころ、北中二年一組の教室内で、原告二郎に対し、何ら殴る理由がないのに、「お前は出歩いているんじやねえよ。目立つのだよ。」と言つて、いきなり持つていた出席簿で同原告の頭を真上から音の出るほど強く殴つた。

その際、日頃から暴力を振い、生徒を差別するので、生徒や保護者から風評のよくない上野教諭に対し、原告二郎が、「答案を出しに行くのに席を立ち、離れたのに、そんなにたやすくぶつなよ。」といつたところ、上野教諭と口論となり、原告二郎が泣きながら説明をしても聞き入れないので、同原告が上野教諭に対し、「俺のほかにも立つて、席を離れていた人はどうするのか。」と詰め寄ると、同教諭は立場を失い、他の六、七人にも同じように暴力を振つた。

(二) 小古瀬教諭は、同月一六日の午後、北中美術室において、同校の生徒の保護者約二〇名の見ているところで、何の根拠もないのに、黒板に二〇センチメートル角の文字で「番長加藤」、「副番長伊藤」、「中番長栗原」、「裏番長武井」と書いて公表した。この結果、原告二郎は同校のPTA会員に恐れられる人物として印象づけられてしまつた。

3 損害

原告らは、上野及び小古瀬両教諭の前記各行為によつて、名誉を毀損され、甚大な精神的苦痛を受けたが、これを償うべき慰藉料額は、原告ら両名に対し合計金四〇万円が相当である。

4 被告の責任

北中の設置者である被告は、国家賠償法一条に基づき、上野、小古瀬両教諭が北中内でなした前記各行為によつて原告らが被つた損害を賠償する責任がある。

仮に、そうでないとしても、被告は両教諭の使用者として民法七一五条により損害賠償責任を負うべきである。

よつて、原告らは、被告に対し、主位的に国家賠償法一条に基づき、予備的に民法七一五条に基づき、損害賠償金四〇万円の支払を求める。

二 請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2(一)の事実中、原告ら主張の行為が昭和五七年七月五、六日にあつたことは否認するが、同月九日に上野教諭が二年一組の教室で原告二郎及びその他数人の生徒の頭を出席簿で叩いたこと及びその際、原告二郎が「そんなにぶつなよ。立つていたのは俺だけではない。」との趣旨のことを言つた事実は認めるが、その余の事実は否認する。

3 同2(二)の事実中、小古瀬教諭が原告ら主張の日時場所において、北中の保護者の前で、原告ら主張の文字(但し、文字の大きさを除く。)を黒板に書いたことは認めるが、その余の事実は否認する。

4 同3、4の事実は否認する。

三 被告の主張

上野教諭の行為は、原告二郎が朝の自習時間中、当然着席していなければならないのに、席を離れていたので、教育上、生活指導の一環として注意を与えたものである。学校教育法一一条の禁止する体罰とは、懲戒権の行使として相当と認められる範囲を超えて有形力を行使して生徒の身体を侵害し、あるいは生徒に対して肉体的苦痛を与えることをいうものと解すべきであり、したがつて、生徒の心身の発達に応ずる等その限界を超えないように配慮すべきことは当然である。しかしながら、上野教諭の原告二郎に対する前記行為は、教師に認められた正当な懲戒権の行使として許容された限度内の行為である。

小古瀬教諭の行為は、当時、北中三年生の番長組織が二年生に引き継がれようとした事件を学校側が察知し、それを事前に阻止するために関係生徒の保護者のみ一室に呼んで事実関係を説明した際になされたものであつて、これにより保護者に正しく事態を理解して貰い、家庭と学校との連携を密にして生徒の健全な育成を期したものである。これは生活指導の一環として時宜に適した指導方法であつて、何ら違法性はない。

四 被告の主張に対する原告らの認否

すべて否認し、主張は争う。

第三 証拠《省略》

理由

一請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、まず、請求原因2(一)(上野教諭の行為)について判断するに、上野教諭が昭和五七年七月、北中二年一組の教室において、原告二郎及びその他数人の生徒の頭を出席簿で叩いたことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、上野教諭が原告二郎の頭部を出席簿で叩いた経緯は次のとおりであることが認められる。

すなわち、昭和四七年七月当時、北中全校生徒に対する日課表及び週時程表によれば、同校生徒に対する朝の日課及び週時程は、月曜日を除き、火曜日から土曜日までは共通であつて、午前八時一〇分から同一五分まで登校(ここまでは月曜日も同じ。)、八時一五分から同三〇分まで清掃、八時三〇分から同四〇分まで朝自習(この間、職員の打合せのための集会がある。)、八時四〇分から同四五分まで各教室での朝の会、その五分後の八時五〇分から九時四〇分までは一時限と定められていたこと、右朝自習は、教師らが職員室で朝の打合せのため会合を開いている間、生徒らに自学自習の態度を身につけさせるため、通常一〇分程度でできる復習問題を出題して解答させるものであつたこと、当時北中では、とかく朝自習や授業開始時にチャイムが鳴つても着席しない生徒がかなりいたため、規律正しい落着いた生徒の育成を期して、同年七月から生活目標として「チャイムとともに着席しよう」をスローガンに掲げ、授業の開始時のみならず時間中もみだりに離席してはならないことを生徒に徹底させることにし、上野教諭もこれを口頭で生徒に注意したほか、右のスローガンを紙に書いて教室内に貼り一層の徹底を図つていたこと、同月九日(金曜日)も前記日課表のとおり各教室で朝自習が行われたが、その間、上野教諭は職員室で、朝自習の見回り役であつた島津真一教諭(以下「島津教諭」という。)から、二年二組は朝自習の態勢に入つていたが、上野教諭の二年一組は出歩いている生徒もいたとの報告を受けたこと、朝自習の答案用紙は教師が教室へ行つて答を合せてから集めるので、それまでの間生徒は席を立つ必要はないと考えていた上野教諭は、職員室での会合が終了した同日午前八時四〇分を少し過ぎたころ、二年一組の教室(大宮市寿能町一丁目二一番地所在)へ赴いたところ、廊下側から一列目、最後部の原告二郎の席が空席で、同原告だけが自席から四つほど前の席の男子生徒の傍に立つて話をしているのが見えたこと、そこで上野教諭は教室の後部出入口の戸口付近に立つて原告二郎の方を向いて無言の注意を与えていたが、同原告はなかなか自席に戻らなかつたこと、原告二郎は当時一三歳、身長一六〇センチメートル余、体重五〇キログラム余の健康な男子で、少年野球チームの選手をしていたが、以前から落着きがなく、授業が始まつてもなかなか席に着かなかつたり、授業中にノートをとらなかつたりする受講態度があまりよくない生徒であり、いつもは上野教諭の姿を見たときはすぐに自席に戻つていたが、この日はなかなか自席に戻らず、少し経つてから、自分の話が終つたらしく上野教諭の立つているすぐそばの自席に戻ってきたこと、そこで上野教諭は、七月の生活目標に定める規律に違反しながら素直に改悛の態度を示さない原告二郎に対し、強く注意を促す意味で、片手に持つていた縦35.5センチメートル、横二〇センチメートル、重さ約二八二グラムのボール紙製の出席簿で、立つている同原告の頭を一回叩いたこと、しかしさほど強く叩いたわけではなく、原告二郎もこれによつて気持が悪くなつたり体調を崩したりしたことは全くなかつたこと、上野教諭が原告二郎の頭を叩いた際、同原告が、「そんなにぶつなよ。立つていたのは俺だけではない。」という趣旨のことを言つたので(同原告の右発言の事実は争いがない。)、上野教諭は右の時間中席を立つたことを自認した他の五人の生徒に対しても、注意を促す意味で同様に出席簿で一回ずつ頭を叩いたこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する〈証拠〉はいずれも伝聞や推測を内容とし、前掲各証拠に照らして措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、学校教育における懲戒の方法としての有形力の行使は、そのやり方如何では往々にして生徒に屈辱感を与え、いたずらに反抗心を募らせ、所期の教育効果を挙げ得ない場合もあるので、生徒の心身の発達に応じて慎重な教育上の配慮のもとに行うべきであり、このような配慮のもとに行われる限りにおいては、状況に応じ一定の限度内で懲戒のための有形力の行使が許容されるものと解するのが相当である。学校教育法一一条、同施行規則一三条の規定も右の限度における有形力の行使をすべて否定する趣旨ではないと考える。

そこで、本件について考えるに、上野教諭が原告二郎に対して前記行為に及んだ経緯は前記認定のとおりであるところ、右認定の経緯や原告宗彦の反則の程度、同原告の年令、健康状態等を総合して判断するときは、上野教諭の右行為は口頭による注意に匹敵する行為であつて、教師の懲戒権の許容限度内の適法行為であるというべきである。したがつて、右行為が違法であることを前提とする原告らの本訴主位的及び予備的請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれもその前提を欠き、失当と言わざるを得ない。

三次に、請求原因2(二)(小古瀬教諭の行為)について判断するに、小古瀬教諭が昭和五七年七月一六日午後、北中の美術室において、同校の生徒の保護者が見ている前で、黒板に「番長加藤」、「副番長伊藤」、「中番長栗原」、「裏番長武井」と書いたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、小古瀬教諭が前記のとおり黒板に生徒の氏名を書くに至つた経緯は次のとおりであることが認められる。

すなわち、北中では昭和五六年ころ三年生の一部につつばりグループ(いわゆる番長グループ)が形成されていて、一般の生徒と違つた乱れた服装をしたり、教師に反抗的態度をとつたりしていたが、同年一二月ころ、三年生から二年生グループの引き継ぎがなされ、新たに当時二年生の訴外菊地豊二が番長に、訴外春日克明が副番長に選ばれたこと、そして、翌昭和五七年一月と二月には、北中と大宮市立宮原中学校の各つつばりグループが大宮市内の公園等で対決したりしていたが、両校教師が早期に察知して解散させ、事なきを得ていたこと、次いで、同年七月六日、三年に進級していた菊地と春日は、二年生につつぱりグループの引き継ぎをすることを考え、原告二郎を含む二年生一七名を北中の体育館裏に呼び出して、「つつぱるか、つつぱらないか。」、「ひつぱつていく奴は誰だ。」などと言つてリーダーの選出を指示し、番長に訴外加藤を決めた後、集まつた二年生の互選により副番長に原告二郎、中番長に訴外栗原、裏番長に訴外武井がそれぞれ選出されたこと、そしてさらに、菊地らはカンパを指示し、その場で五〇〇円ずつ集め、残り数万円は同月二四、五日ころまでに集めさせることにしたこと、学校側は、同月一〇日ころ、生徒の右のような動き(但し、カンパの点は除く。)を知るに及び、大事に至らぬ前に早期に関係生徒の個別指導を行う方針を決定し、各生徒の担任がその指導に当たることになつたこと、しかし、上野教諭と原告二郎とは当時必ずしもうまくいつていなかつたので、代わりに島津教諭がこれにあたることになり、同月一六日午前、島津教諭は原告二郎を校内の図書室に呼んで話をしたところ、同原告はつつぱりグループの番長等の名前や自分が副番長になつたことを打ち明け、島津教諭の説得に応じて、菊地、春日の両名に対し、つつぱるのを止める旨明言することを誓つたこと、しかし、学校側では原告二郎らが直接菊地らにその旨を言いに行くのは危険であると考え、教師のいる所でその話をさせることにし、同日昼ころ、校内応接室に菊地、春日のほか二年生の加藤、栗原、武井及び原告二郎の六名を呼び集めたこと、そこで原告二郎は教師一〇名のいる前で菊地と春日に対し、つつぱるのを止める旨を明言し、これに対し菊地らは、「つつぱるのを止める以上、学校の規則を守つていくのだぞ。少しでも乱れた服装をしたら許さないぞ。」と言つたこと、また、学年主任の大沢教諭は菊地と春日に対し、今後このようなことで原告二郎らとかかわりを持たないように注意して解散したこと、学校側はこれらの事態を重く見て、前日すでに電話等で連絡済みの原告一郎を含む関係保護者一七名ほどに、二年生全体の保護者会終了後の同日午後四時ころ、人目につきにくい校内の美術室に集合して貰い、保護者にまず事態を正確に理解して貰うため、生活指導主任の小古瀬教諭からつつぱりグループのこれまでの活動等を具体的に話して貰うことにしたこと、そこで、小古瀬教諭は、「彼らが話し合いで決めたというのは、番長加藤、副番長伊藤、中番長栗原、裏の番長武井である。」と言いながら、約八センチメートル角の大きさの文字で黒板にチョークで右四名の氏名と役割を書き(右板書の事実は争いがない。)、さらに続けて、「教師の指導によつて、右四名が自主的に三年生の前でつつぱりを止めると断つた、事件の早期発見と生徒の勇気ある行動で解決できたことは大変よかつた。しかし、つつぱりグループの三年生に目をつけられ、呼び出された生徒には服装の乱れなどがあつて、それが目をつけられた一つの原因にもなつているので、夏休みを控え、家庭でも十分注意して欲しい。今後は学校と家庭とが互いによく連携し合い、生徒の健全な育成を期したい。」と述べ、約三〇分で解散し、保護者の多くは学校側の措置に感謝し、原告一郎も、「二郎が十分に注意すればよいことだ。大変迷惑をかけました。」との趣旨の発言をしていたこと、この説明会の効果は直ちに現われ、翌七月一七日には関係保護者から学校に、前記カンパのための集金がなされていることが通報され、二年生のつつぱりグループが既に集金していた金四万〇五〇〇円を保護者に返還する措置をとり、その後は夏休み期間中はもとより現在に至るまで非行が報告されていないこと、以上の各事実を認めることができる。もつとも、〈証拠〉には右認定に反する記載があるが、これらの書面はいずれも本訴提起後作成されたものであつて、本件記録と照合すると、少なくともその本文は原告一郎の筆跡によるものと認められ、内容において伝聞又は推測にわたる部分が多く、前掲各証拠に照らして措信し難く、これを採用することはできない。また、前記認定に反する原告伊藤一郎本人尋問の結果も前掲各証拠に照らして措信し難く、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、中学校の生徒がつつぱりグループに属し、副番長の地位にあると公表されることは、当該生徒の素行の悪さを強く印象づける不名誉な事柄であるから、教師がこれをその保護者以外の者に公表するに当つては、教育上十分配慮し、慎重になされるべきことは言うまでもない。しかしながら、本件においては、生徒の生活指導を直接担当する小古瀬教諭が、生徒の健全な育成を期し、家庭の協力を求める趣旨で、つつぱりグループの実態を知らない保護者に対し、事の重大さとその実態を正確に理解して貰うため、特定の関係保護者しか集まつていない会場で、前記認定のような経緯と方法のもとに、事実に基づいて生徒の氏名と役割を公表したことには、その教育的配慮に欠けるところはなかつたものというべきである。したがつて、右行為が違法であることを前提とする原告らの本訴主位的及び予備的請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれもその前提を欠き、失当である。

四よつて、原告らの主位的及び予備的請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(河野信夫)

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